『女王の器』は無事終了しました。
ご来場くださった皆様、
どうもありがとうございました。
この作品は『カロリーの消費』で旗揚げしてからの
集大成的なものとなった気がします。
青年団自主企画の時には
わりときっちりと「物語」を描こうとしていたのですが
『カロリーの消費』からは「物語」の
様々な可能性を試みようと、
切断したり、重ねたり、ずらしたり
していたように思います。
それでも、何とか一つの形になるようなものをつくりたかったのです。
しかも、「空間」の特性を活かすことで、「物語」が「空間」に引っ張られながらも、
「物語」であろうとして、求心力を発揮するような形にならないかなあと。
「空間」の説得力に負けて、あるいは触発されて、
「物語」を書き換えることもしょっちゅうでした。
ちょっと理屈っぽいですが、「遠心力」に負けずに「求心力」を高めるには?
といつも考えていたような気がします。
『女王の器』は、どう考えてもインチキくさい偶像に
人々が吸い寄せられるさまを描いたつもりです。
宗教的であったり、マスコット的であったり、性的、イケニエ的な
大・中・小の様々なサイズの偶像を取り揃えてみたというか。
あるいは、自分のことがどうも偶像に思えてしまうという人もいたかな。
一見、バラバラな人たちが女王を媒介につながるような話です。
もちろん、違う解釈で捉える人がいても構いません。
何故なら、「物語」が「空間」に引っ張られることで
台本上の意味を越えて、観客に伝わることをのぞんでもいるからです。
でも、それでもなるべく「物語」に収斂させようとしていたのですが。
伝わらない部分も多く、力不足を感じもしました。
でも、ともかく、今までのやり方の集大成であることは確かで、
今後はかなり別のやり方を試みることもできるんじゃないかという
気がしてきました。
まだ明確にはわからないのですが、もう少しシンプルにつくっていきたいです。
解体したり、確率の低い方へ「物語」を転がすのではなく、
可能性にあふれた「空間」を利用するのでもなく、
もっとフレームをかっちり決めてつくってみるのも面白いかもなあ、と。
そうやってつくりながらも、心霊写真のように浮かび上がる
いくつかの存在はやっぱりあって、という形とか。
ながながとかきましたが、これからサンプルは『自慢の息子』全国ツアーや越後妻有アートトリエンナーレ2012があります。
これからもまだまだ変身・変態を続けていきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いします。