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【小学校での記憶】牧内彰

2012.08.11

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・小学校1年の時、クラスは4クラスあり1~3組は1階に教室があって4組は2階に教室がありました。
4組の人と鬼ごっこなどした時に4組の人たちは2階に上がり「ココまで来い」と挑発するのだが1~3組の人たちは2階に行くことが悪いこと&怖いという感覚があり上に行けかなかった。
階段を2~3段しか上がれず、そこから「ずるいぞー。降りて来い」と言ってた。

・小学校1年の時、クラスメイトの女の子が授業中に「トイレ」と言い出し、先生が「行ってらっしゃい」と言うも、その子は「トイレ」と言い動かない。
再び、先生が「行ってらっしゃい」と言うも、その子はまた「トイレ」と言い動かない。
その、やり取りが数回続き、その子は漏らして泣いた。

・学校の門を出たところに小さな工場(家)があり、そこではバッテリーか何かの電気の線を作ってたようでゴミとしてプラスチックのソケットに電線が付いているような物が出ていた。
そのゴミが生徒の中で流行だし、放課後はそのゴミを求めて生徒が工場に押し寄せてゴミを貰っていた。
何故あんなものが欲しかったのか?暫くすると、そのブームは去った。

・学校は坂を上がった所に有り、生徒は坂上と坂下に分かれていた。
坂上は3割、坂下は7割ぐらい。
私は坂上に住んでいたのだが坂下のイメージが暗い、怖い、貧しいであった。
多分、坂上の人間はそう思っていたと思う。
坂下に住んでる人は、一年中半袖、半ズボンの人や母子家庭(当時は珍しい)、給食費免除の人などが多く居た気がした。
また変質者が多く出たのも坂下だった。

・小学校5年ぐらいの時、下の学年にポーランド?から転校生が来た。
大使館の息子らしく本来なら外国人学校とかに行くのだが、父親の考えで日本の普通の学校で学ばせたいと言う事で入ってきた。
そういう特別な転校生なので朝礼で父親と供に紹介されていた。
その子はいつも数人に囲まれ「馬鹿、ウンコ」と言われていた。
その子は日本が全く分からないので真似して「バカ、ウンンコ」と半笑いしながら合わせて言っていた。
帰国する時に父親が朝礼に現れ「息子は皆さんに良くしてもらって日本語を覚えました。アリガトウ」と言った時に当事者ではないのだが胸が痛くなった。

・学校の隣が神社の森だった。
その森は変質者が出たり、『森は泣いてます』の張り紙が貼ってある木があったり、コンドームや藁人形が落ちてたりして薄気味悪い場所だった。
ある日の休み時間、森の中から外人が自慰行為をしながら校庭を覗いていた。
女生徒が悲鳴をあげ、先生が追いかけるが凄いスピードで逃げていった。

・小学校2~3年頃の時、当時アニメで【Drスランプ アラレちゃん】が放映されていた。
アラレちゃんのキャラクターで『巻き糞』があり、私は名前がマキウチなので一部から『まきうんち』と呼ばれ、ツーンツンをされ泣いた。
そのことを先生に言ったら、帰りの会で「皆、聞いて!牧内君のことを『まきうんち』言わない!分かったー?」と皆の前で言われ、
今まで言われなかった人にも『まきうんち』と呼ばれ暫く先生を信じられなくなった。

(牧内彰)