公開稽古に来てくださった皆様
どうもありがとうございました!
年齢層も幅広く、しかもかなり熱心にご覧いただけたようで
こちらとしてもとても刺激になりました。
稽古は試行錯誤の連続なので
停滞と後退と緩やかな前進が混ざった
不思議な時間が流れるので、それを味わってもらえたかなと。
俳優にとっては、客席に観客がいる状態の空間と時間を味わいながら
稽古を進めることができたのが大きな収穫だったように思う。
ある時間・空間の磁場を作り出しているのは誰(何)か?
ということがあって、それは演出家の采配による部分も大きいけれど、
それだけじゃなく、俳優の仕草やある光や音や衣装の揺れ方やそれらの複合体が
自然と連鎖反応を起こす場合がある。
というか、客席のある場所から見える景色に偶然映り込んだ何かが
そこに座る観客のスイッチを押すことについて考慮しながら
全体の情報量を調節したいと思う。
つまり、稽古ってそれだけで作品になるなと思った。
あの時、観客は観客だけの立場でなく、
もう少し参加者の感覚があったかもしれない。
全体が明かされないことは多分、初めからわかっている。
舞台装置もないし。
そして、稽古の切断と繰り返し。
俳優やスタッフや演出家の行動。
台詞の断片。
そこから、ある人は完成形を推理するだろうし、
ある人はこの時間内での俳優の達成度を見るだろうし、
ノートを取ったりする俳優の態度や演出家のポーズや言葉などから、
この集団の集団制みたいなものを感じようとするかもしれないし、
舞台と客席の地続き感を感じるかもしれないし、
とにかく、完成形は提示されない分、
ある能動性を発揮せざるを得ないわけで
それはとても風通しがいい作品になると思った。
もっともっと客席の客席感がなくてもいいかなとも。
もちろん、全てが分散してしまうことに対する危惧はあって、
これを見せたいという欲求はある。
でも、結婚式の何が面白いって、
分散する時間と集中する時間がモザイク状になってるからだよなと思う。
最近の、式から披露宴までの流れを全部ビデオに撮って
最後の退場の際に、新郎新婦の思い出の写真などと共に、
ダイジェストのようにスクリーンに映して
スタッフロールに参加者全員の名前を流すという演出は
よくできてるなあと思う。
まあ、ちょっとまだまだ色々考えよう。