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	<title>INTERVIEW &#8211; 劇団サンプルの公式HPです。</title>
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	<description>Just another WordPress site</description>
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		<title>ひとりずもう の 作りかた〈サンプル俳優インタビュー〉</title>
		<link>https://samplenet.info/2016/10/06/4125/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[samplenet]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 05 Oct 2016 15:05:15 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[BLOG]]></category>
		<category><![CDATA[INTERVIEW]]></category>
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					<description><![CDATA[サンプルの魅力をじっくり味わえるテスト・サンプル06『ひとりずもう2』。 公演に先駆けて、出演俳優に稽古の過程などをインタビューしました。 テスト・サンプル06『ひとりずもう２』 日時：全6ステージ 10月07日(金)　 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>サンプルの魅力をじっくり味わえる<strong>テスト・サンプル06『ひとりずもう2』。</strong><br />
公演に先駆けて、出演俳優に稽古の過程などをインタビューしました。</p>
<h2>テスト・サンプル06『ひとりずもう２』</h2>
<p><strong>日時</strong>：<small>全6ステージ</small><br />
10月07日(金)　　19:30<br />
10月08日(土)　　14:00　<span style="color: #ff6600;"><strong>野津あおい×松井周トーク</strong></span>／18:00　<span style="color: #ff6600;"><strong>奥田洋平×松井周トーク</strong></span><br />
10月09日(日)　　14:00　<span style="color: #ff6600;"><b>辻美奈子×松井周トーク</b></span>／18:00　<span style="color: #ff6600;"><strong>古屋隆太×松井周トーク</strong></span><br />
10月10日(月/祝) 14:00</p>
<p><span style="color: #ff0000;"><strong>チケット予約はこちらから！</strong></span><br />
<a title="http://samplenet.org/2016/09/25/testsample06/" achives="" 2016="" 09="" 25="" testsample06="" "="">http://samplenet.org/2016/09/25/testsample06/</a></p>
<h4 style="background-color:#D6D6D6;padding: 5px 5px 5px 5px;font-size: 120%;">　奥田洋平　タイトル『清掃員』</h4>
<p><a href="/archives/archives/wp-content/uploads/2016/10/8294473.jpg"><img fetchpriority="high" decoding="async" class="" style="margin: 10px 20px 5px 0;" src="http://samplenet.org/archives/wp-content/uploads/2016/10/image2-1024x1024.jpeg" alt="OLYMPUS DIGITAL CAMERA" width="270" height="270" align="left"> </a><br />
<strong>−−−どのような経緯から生まれた作品ですか？</strong><br />
僕のバイトの話です。松井さんからの提案でした。<br />
専門知識みたいなものは調べなくても出てくるので、バイトが活かせて良かったです。<br />
<strong>−−−ひとり芝居をする時と何人かで芝居をする時、 俳優の感覚として違う事はありますか？</strong><br />
相手の反応を自分で妄想するか、しないか。だと思います。コレを極めた人が居たら、新年の神社とかで、神事としてやったらいいかもと思います。</p>
<h4 style="background-color:#D6D6D6;padding: 5px 5px 5px 5px;font-size: 120%;">　野津あおい　タイトル『鳩が丘』</h4>
<p><a href="/archives/archives/wp-content/uploads/2016/10/8294473.jpg"><img decoding="async" class="" style="margin: 10px 20px 5px 0;" src="http://quinadanet.xsrv.jp/sample/wp-content/uploads/2016/10/8294473.jpg" alt="OLYMPUS DIGITAL CAMERA" width="270" height="270" align="left"> </a><br />
<strong>−−−どのような経緯から生まれた作品ですか？</strong><br />
最近行った土地や、出来事、妄想をミックスしてつくりました。ドキュメンタリーとフィクションの間？みたいな作品になればいいなと思いながら、稽古中です。鳥が好きなので、鳥をたくさん登場させました。<br />
またぺろっと嘘をつきたいという話を松井さんにして（演劇の醍醐味かなーと思ったので）やってみています。<br />
<strong>−−−ひとりずもうという企画はどうですか？</strong><br />
実はとってもサンプルらしさが濃縮された企画だと思っています。俳優がひとりで舞台上に投げだされた時、どう行動するのか？それを（松井さんによって）サンプリングされてる感じです。しかし前回見た方に、サンプル史上もっとも見やすいという感想もいただきました！嬉しいです。今回も不思議な公演になると良いと思っています。</p>
<h4 style="background-color:#D6D6D6;padding: 5px 5px 5px 5px;font-size: 120%;">　辻美奈子　タイトル『朝』</h4>
<p><a href="/archives/archives/wp-content/uploads/2016/10/8294473.jpg"><img decoding="async" class="" style="margin: 10px 20px 5px 0;" src="http://samplenet.org/archives/wp-content/uploads/2016/10/image6-e1475677543914-1024x1024.jpeg" alt="OLYMPUS DIGITAL CAMERA" width="270" height="270" align="left"> </a><strong>−−−どのような経緯から生まれた作品ですか？</strong><br />
前回のひとりずもうで美術館の学芸員の役をやって新鮮で楽しかったので今回も自分とちょっと離れた世界の芝居をしたいなと思っていたのですが、松井から今回は自分の日常に近い感じのをやってみない？と言われて作りました。羞恥心との闘いです。<br />
<strong>−−−ひとり芝居をする時と何人かで芝居をする時、俳優の感覚として違う事はありますか？</strong><br />
一人芝居はやっぱり相手役が目の前にいないことの難しさにつきます。いつもは相手役の表情や声、体などに反応して芝居をするのに一人芝居は全て自家発電しないといけない。すごいパワーが必要で、ヘロヘロになります。でも集中してできると「いい波に乗れた！」と思える時があって楽しいです。不思議な楽しさです。</p>
<h4 style="background-color:#D6D6D6;padding: 5px 5px 5px 5px;font-size: 120%;">　古屋隆太　タイトル『授業』</h4>
<p><a href="/archives/archives/wp-content/uploads/2016/10/8294473.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="" style="margin: 10px 20px 5px 0;" src="http://samplenet.org/archives/wp-content/uploads/2016/10/image4-1024x1024.jpeg" alt="OLYMPUS DIGITAL CAMERA" width="270" height="270" align="left"> </a><strong>−−−どのような経緯から生まれた作品ですか？</strong><br />
設定は松井さんのアイディアです。松井さんはたぶん、僕が話す近況から想を得ていると思います。<br />
僕が普段実際にやっていることや言っていることを使っていて、それを変態の方向に延長線を伸ばしているだけなのでパラレルワールドです。そこがやってて楽しいです。<br />
<strong>−−−松井さんと稽古する過程で印象に残っている事はありますか？</strong><br />
苦労は特にないです。お達者なので、二人でエチュードやってて面白いです。使えるセリフが産まれたぞ！と感じられる瞬間があって、それ好きです。<br />
<strong>−−−ひとり芝居をする時と何人かで芝居をする時、 俳優の感覚として違う事はありますか？</strong><br />
刺激を与えてくれる相手がいない、まさしくひとりずもうなので孤独です。僕は孤独は得意ではないです。<br />
ひとりずもうシリーズで一人芝居に挑戦して、今までと違う部分に意識が向かうようになりました。わかりやすさとか。あと相手がいるありがたみも強く感じられるようになりました。<br />
<strong>−−−前回のひとりずもうで好きだった作品とその理由を教えてください。</strong><br />
自分の作品を気に入ってます。テアトロコントにも出させてもらったし、僕の間違っちゃってる分身みたいなキャラクターを生み出せたので。<br />
<strong>−−−ひとりずもうという企画はどうですか？</strong><br />
これからも続けていけたらいいなと思います。腕自慢の俳優たちが集まってそれぞれが一人相撲をとる、そんなすもう大会に育ってほしいので、観客にもたくさん集まってもらいたいです。</p>
<h4 style="background-color:#D6D6D6;padding: 5px 5px 5px 5px;font-size: 120%;">　松井周　タイトル『パート・タイム』</h4>
<p><a href="/archives/archives/wp-content/uploads/2016/10/8294473.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" class="" style="margin: 10px 20px 5px 0;" src="http://samplenet.org/archives/wp-content/uploads/2016/10/image1-1024x1024.jpeg" alt="OLYMPUS DIGITAL CAMERA" width="270" height="270" align="left"> </a><br />
<strong>−−−どのような経緯から生まれた作品ですか？</strong><br />
家族ものをやりたいなあと思ってです。<br />
もしかしたら自分に起こるかもしれない状況を選びました。<br />
<strong>−−−ひとり芝居をする時と何人かで芝居をする時、 俳優の感覚として違う事はありますか？</strong><br />
違います。ひとり芝居の時は、自分に振り回されるという感覚です。<br />
<strong>−−−今まで、ひとり芝居の経験はありましたか？ </strong><br />
あります。いつもとにかく、ライブだなあと思います。<br />
<strong>−−−ひとり芝居と、みんなでやる芝居どちらが好きですか？</strong><br />
どちらも好きです。<br />
<strong>−−−ひとりずもうという企画はどうですか？</strong><br />
この企画は表現の原点に戻って、なにもないところで、俳優が動き、しゃべることによって、世界をたちあげてみようというものです。観客のみなさんには、少しの想像力をお借りして、その世界に足を踏み入れて欲しいと思います。これからも、サンプル以外の俳優も巻き込んで、続けていきたいです。</p>
<h2>テスト・サンプル06『ひとりずもう２』</h2>
<p><strong>日時</strong>：<small>全6ステージ</small><br />
10月07日(金)　　19:30<br />
10月08日(土)　　14:00　<span style="color: #ff6600;"><strong>野津あおい×松井周トーク</strong></span>／18:00　<span style="color: #ff6600;"><strong>奥田洋平×松井周トーク</strong></span><br />
10月09日(日)　　14:00　<span style="color: #ff6600;"><b>辻美奈子×松井周トーク</b></span>／18:00　<span style="color: #ff6600;"><strong>古屋隆太×松井周トーク</strong></span><br />
10月10日(月/祝) 14:00</p>
<p><strong>会場</strong>：<a title="早稲田小劇場どらま館" href="http://www.waseda.jp/student/dramakan/" target="_blank" rel="noopener noreferrer">早稲田小劇場どらま館</a><br />
<small>〒169-0071　東京都新宿区戸塚町1－101</small><br />
<small>東京メトロ東西線「早稲田駅」から徒歩5分</small></p>
<p><span style="color: #ff0000;">チケット予約・公演詳細はこちらから</span><br />
<a title="http://samplenet.org/2016/09/25/testsample06/" achives="" 2016="" 09="" 25="" testsample06="" "="">http://samplenet.org/2016/09/25/testsample06/</a></p>
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			</item>
		<item>
		<title>松井周ロングインタビュー（２）</title>
		<link>https://samplenet.info/2014/03/11/1492/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[samplenet]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 10 Mar 2014 16:23:32 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[BLOG]]></category>
		<category><![CDATA[INTERVIEW]]></category>
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					<description><![CDATA[◆『シフト』のこと (野村政之) 野村　『シフト』の初演、2007年の時はどういうことを考えてたんですか？ 松井　初演の時は、ここから「サンプル」（初演時は「青年団リンク サンプル」）が始まったから、最初にどういうふうに [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h3>◆『シフト』のこと</h3>
<p><small>(野村政之)</small><br />
<img decoding="async" src="http://quinadanet.xsrv.jp/sample/wp-content/uploads/2014/03/interview011.jpg" alt="" width="40%" style="margin: 0 15px 5px 0;" align="left" /><br />
<strong>野村</strong>　『シフト』の初演、2007年の時はどういうことを考えてたんですか？</p>
<p><strong>松井</strong>　初演の時は、ここから「サンプル」（初演時は「青年団リンク サンプル」）が始まったから、最初にどういうふうに「サンプル」を作りたいか、「サンプル」っていう言葉自体にあった形をみせたい、と思った。まず、「人間関係を人間視点で人間の心理を辿るようにに書かない」こと。『通過』（2005年初演／2009年再演）の時もそうだったんだけど、それをもうちょっと打ち出したかったから、犬のブリーディングになぞらえて、「血統のいい何かを作ろうとして交配させる」というのを人間の世界に当てはめてみて、それで人間がどう見えるのか、違和感があるのかそれとも「意外と人間ってこういう風に生きてるかも」というように見えるのか。どっちに捉えてもらってもいいんだけど、「酷いけど犬と同じように捉えて書こう」と、「それが伝わればいいなぁ」と考えて創ってたかなぁ。「人間というのは自分で思ってるほど人間的じゃないですよ」という。</p>
<p><strong>野村</strong>　初演のときはどういう風に受け取られてたんですか？</p>
<p><strong>松井</strong>　どうだったんだっけなぁ。そういう風に受け取られたかどうかは自信がないんだよね。どっちかっていうと、物語として受け取られていたかなぁ。村で起こる近代化の中で伝統行事を無理矢理復活させる人工性みたいな感じを面白がってもらってたし、もちろんそれは狙ってたとこでもあるんだけど、そういうのが多かったかな。でも、僕としてはさっきも話した「ゾンビ的に生きてるというのはどういうことか」という考察の一環だった。サンプルでは「ゾンビ的に生きる人間」というのを書きたいと思ってたから、それを意識的にやった初めて作品っていう感じ。</p>
<p><strong>野村</strong>　前近代というか、村の方を変なものだという風に見てるのではなくて、松井さん的にはどっちかといえば村＝前近代の方が「図」で、近代の方が「地」っていうことなんですよね。</p>
<p><strong>松井</strong>　そうそう、一周回って前近代が戻って来たのはスーパーの進出があったから。今でいう「ゆるキャラ」とか「町おこしブーム」で変なことを始めて、それを無理矢理途絶えた伝統行事とくっつけようとし始めるところに人間の営みの面白さを感じて。つまりそれは伝統行事をやっても昔の伝統行事ではなく一回途絶えたものをもう一回物語化するというか、昔話を現実化しようみたいな感じで、村の方が人工的に考えている。</p>
<p><strong>野村</strong>　僕自身は観てないんですが、聞いた感想では「村に対して歯が立たない感じは自分だと思った」って言ってる方も居たんですけど、それはミスリーディングだったということなんですかね。そういう感想を期待してそれをやってたわけじゃないんですよね。</p>
<div align="right"><small>(左：野村政之　右：松井周)</small></div>
<p><img decoding="async" src="http://quinadanet.xsrv.jp/sample/wp-content/uploads/2014/03/interview051.jpg" alt="" width="50%" style="margin: 0 0 10px 15px;" align="right" /><br />
<strong>松井</strong>　あー、そうねぇ。でもそれもやっぱりあるよ。村の人間関係の中での人間の扱われ方も面白いと思ってて。ちょうど「よさこい」ブームの時だったのかなぁ。<br />
　晴子（登場人物）がタケノコ族みたいな格好してたのは、「よさこいって人工的だよね」ということで、でも「よさこい」を始めたっていうのは、資本主義で置いてかれたところをもう１回巻き返すために、村の村らしさ、伝統のレプリカのようなある種の現代的、人工的な祭りをもう１回呼び込むということで。<br />
　ただ、ぐじゃぐじゃって混ざってるね、「前近代」と「近代」という感じが村の中にもレイヤーとしてあるというか。どっちってわけでもない。でも、近代から取り残されてこういう村＝前近代が残ってるという風に書いたつもりではなくて。むしろ最先端を突っ走ってるというか、その村で起こってることが引き起こされたのは資本主義がそう促してるんじゃないかと思って創ったかなぁ。</p>
<p><strong>野村</strong>　そういう意味で、今回はどう観点が変わってると思いますか、現状で。</p>
<p><strong>松井</strong>　『地下室』（2006年初演／昨年・今年再演）のときもそうだったかもしれないけど、さっき言ってた「ゆるキャラ」ブームとか、B級グルメとか、「資本主義のちょっとしたアイディアで村が盛り上がる」みたいなことが、何か今は前面化してるのがあって。あと、例えば犬のブリーディングのように何かを村人たちが交配させていくっていう感じ…というか、交配しないにしても「デザイナーベイビー」のような、「遺伝子を操作することで自分の好みにあった子供を生んでいく」というような感覚も出始めてる。</p>
<p><strong>野村</strong>　そうですよね、もちろん科学的なこととしてでもあるんだけど、ゲノムとかバイオテクノロジーのようなことで言えば、元々は動物に考えてたことと同じことを人間にあてはめて、それをより細かくして、生命を人工的にコントロールすることを考えてる。「むしろそこに人間の希望、未来があるんだ」と考える傾向が、技術的に現実味が出て来たからこそ強くなってるかもしれない。アンチエイジングなんかも。</p>
<p><strong>松井</strong>　だからね、「今やっても最先端なことと結びつけて見られるんじゃないかな」という気はするんだよね。そういう風に見て欲しいし、ある種グロテスクではあるけど、そのグロテスクさに私たちは進んでる気がする。</p>
<p><strong>野村</strong>　『地下室』はどっちかっていうと集団のコミュニケーションの問題だったと思うんだけど、『シフト』はその集団がしきたりや掟みたいルールを持っていて、人間が踊らされてて、それによって自分で生命をいじっていくような感覚、そこにフォーカスがあるんでしょうね。『地下室』の時にもiPS細胞とか言ってましたけど、実は『シフト』の方がそういうことに近いのかな。</p>
<p><small>『シフト』2007年初演 ©青木 司</small><br />
<img decoding="async" src="http://quinadanet.xsrv.jp/sample/wp-content/uploads/2014/03/interview061.jpg" alt="" width="50%" style="margin: 0 15px 10px 0;" align="left" /><br />
<strong>松井</strong>　「生殖」ということだよね。やっぱり。生殖の捉え方が、多分もう変わり始めるな、という。もちろん少子化とかのほうの背景もあるけど、まさにその「毛並みのいい犬とか、顔の整った犬を作るように人間を作っていく」というような感じに対して、前だったら「グロテスク」という方向で捉えられたかもしれないけど、「その未来があり得る」という今の状態の方が怖いし。…怖いっていうか「全面的にそれがいけないかどうか」まだそれは言い切れない。<br />
　例えば遺伝病とか、「プレイ」という「モノの考え方」で変えられない部分が遺伝にはある。だけど生命科学技術について「元々生きてるならプレイで変えてもいいじゃん」って言う発想を酷いとは言い切れない。今は倫理とかでダメって言ってるけど、そう変わっていくことを受け入れる可能性もあるなぁ、と。「どうなるかわかんないな」というところの狭間にいる。そのことに対する問題提起じゃないけど「どうすかね？」「どう思います？」みたいなこと。だから、初演の時よりむしろ今の方がぴったりなテーマとして言えるかもしれない。<br />
　前だったら、「前近代の風習や慣習に基づくのお話」っていうような捉え方で「ああこんな怖いことが昔はあったんだ」みたいな、「『楢山節考』って怖いね」ってそういう風に捉えて終わった人もいるかもしれないけど、今になって「これから先の未来のことだ」と引き寄せて考えてもらえたら嬉しいかなと思う。<br />
　デザイナーベイビーもそうだし、「ダウン症の出生前診断の遺伝子検査をして陽性が確定した人の9割が中絶した」という話を最近たまたま聞いて。それはもちろん個別の事情もそれぞれあると思うんだけど、今までだったら建前でも受け入れるとか、「遺伝子的に可能性があってもこの生命を」と考えたかもしれないのが、そうじゃない価値観も結構今はあるなぁと思う。Wrongful life訴訟（＊）にしてもそう。<br />
　Wrongful life訴訟でいえば「出生前にそういうことがわかってるのに何故生んだ？」という主張もあるけど、「それは可能性でしかないから、そうじゃない可能性もある」っていう主張もあって。この前知り合いに聞いた話では、出生前に「こういう欠陥の可能性があるでしょう」っていう風に言われた人がいて、「どうしよう？」と思ったけど産んで、検査したけどなんともなかったということがあったとも聞いた。ということは、中絶で生まれなかった子供ももしかしたら障害がなかったかもしれない。あと、「じゃあ障害があったら生まないのか」という問題にもなっていくと思うし…、「じゃあ障害って何？」というのもある。<br />
　このことを考えていくとオーバーヒートを起こすけど、でもだから「これからは操作が出来る」「検査である程度信憑性を持たすことが出来る」…そういう今だからこそ、生殖の問題は結構リアルに迫ってくるんじゃないかなという気がするんだよね。</p>
<p>＊：Wrongful life訴訟<br />
子が先天性障害を持って出生した場合に、子自身が「医師の過失がなければ、障害を伴う自分の出生は回避できたはずである」と主張して提起する損害賠償請求訴訟。「存在する私」が「私が誕生しなかったほうがよかった」＝「存在自体が損害」として「存在する私に対する賠償」を求めて起こすという事態になる。2000年にフランスで原告勝訴となった事例がある。</p>
<p>(終わり)</p>
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			</item>
		<item>
		<title>松井周ロングインタビュー（１）</title>
		<link>https://samplenet.info/2014/03/07/1414/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[samplenet]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 06 Mar 2014 18:58:15 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[BLOG]]></category>
		<category><![CDATA[INTERVIEW]]></category>
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					<description><![CDATA[サンプル旗揚げ作品『シフト』の再演を控え、 サンプルのドラマターグ野村政之が松井周にインタビュー。 「『永い遠足』を経て…」、「『シフト』のこと」２回に分けてお送りします。 (左：野村政之　右：松井周) ◆『永い遠足』を [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>サンプル旗揚げ作品『シフト』の再演を控え、<br />
サンプルのドラマターグ野村政之が松井周にインタビュー。<br />
「『永い遠足』を経て…」、「『シフト』のこと」２回に分けてお送りします。</p>
<p class="center" style="">
<small>(左：野村政之　右：松井周)</small>
</p>
<p class="center" style="">
<img decoding="async" src="http://quinadanet.xsrv.jp/sample/wp-content/uploads/2014/03/interview031.jpg" alt="" width="70%" style="margin: 0 0 10px 0;"/>
</p>
<h3>◆『永い遠足』を経て…</h3>
<p><strong>野村</strong>　前作の『永い遠足』（2013.11／フェスティバル／トーキョーで上演）では、観た方から色んな反応がありました。ラストシーンの演出や、久保井研さんが出ていたこともあってか唐十郎さんとなぞらえられたり、一方、『オイディプス王』の「父殺し」よりも「母との関係の執拗さ」から寺山修司との比較で言われたり、或いは高橋英之さんのワンダーランドの劇評では、「ネズミ」っていうモチーフから大江健三郎〜村上春樹とつなげて考えられていたり。更には、岡田利規さんが「日本の演劇の王道」というような意見をいっていた。<br />
　そういうふうに、今まで以上に戦後史、文学史、演劇史みたいなことと関係付けて観られた、という一方で、一般的には「青年団出身」「現代口語演劇」みたいなことで理解されている？ようなことになってる。<br />
　なので、松井さんが自分の活動と歴史をどう考えているのかというのを『永い遠足』が終わった今の時点で聞いてみたいと思うんです。いかがですか。</p>
<p><small>『永い遠足』©青木 司</small><br />
<img decoding="async" src="http://quinadanet.xsrv.jp/sample/wp-content/uploads/2014/03/interview041.jpg" alt="『永い遠足』©青木 司" width="60%" align="left" style="margin: 0 10px 5px 0 ";/><br />
<strong>松井</strong>　でかいなぁ！それ。面白い。どうだろうね。どっから話そうかなぁ。基本的には多分、歴史を戦略的に使っているということではなくて、好きな感覚をパッチワークしているということは確実で、それは意識的というより、どちらかというと無意識な部分かな。<br />
　で、今名前が上がった人たちの好きな部分を吸収しているところはやっぱりあって…寺山修司で言えば「『私』という謎」みたいな感じ。「演技をしている時にこそ自分の存在みたいなものがチラチラと垣間見えるものだ」という言い方。だから「私は自分をフィクション化する」というその感覚はすごくしっくりくるし、僕の「プレイ」っていう言い方はその辺から貰ってきてると感じてる。<br />
　一方、唐さんの場合は、身体というか「パーツ」だと思うんだけど、パーツが全体を凌駕する。身体一個そのものがその人を代表するんじゃなくて、パーツである足であったり顔であったりといったものが実はすごく強く印象を与えていて、そこから妄想が広がる感じ。人間は一個の全体ではなくてバラバラのものがバラバラに繋がっている。一回分解した人間をおもちゃのように一回組み立て直す。それも一つのプレイ感覚なんだけど…、そういう風に見ていく感覚を唐さんから受け取ってるなという実感はある。<br />
　大江健三郎さんに関して言うと…これは実は僕の中の「ゾンビ感」とつながってて、あの人はすごく戦後民主主義的な振る舞いでいるんだけど、そんなバランスの取れた人間じゃなくて、小説を読んでいると、ちょっと怪物というか変な人たちがいつも出てくるというイメージがある。例えば「ネズミ」っていうのが出てくる『万延元年のフットボール」。人がよくわからない名前をつけられていて、ちょっと人間っぽくないところから人間を全然違うフィルターで見て描写してるなっていう感じがある。振る舞いとのギャップもあってずっと好き。今喋ってみて、そういうつながりはもしかしたらあるかもしれない。<br />
　それで、岡田さんがいう王道であるっていうものの捉え方はどこから来てるのか僕もちょっと謎だというかどの部分がそうなのかなとは思うんだけど…</p>
<p><strong>野村</strong>　DOMMUNEの時には、唐さんの名前も出てたけど岩松了さんのことも言っていて、普通は別個にされるようなものも両方摂取して、松井さんが自分のものとして表現を作っているという部分に着目してるんじゃないかなという印象は受けました。</p>
<p><strong>松井</strong>　やっぱり何かしら自分の感覚にヒットするものを…まぁ、最初は模倣から始めたかもしれないけれども。オリジナルな感覚を積み上げようとしてる、或いは形にしようとしてる人達に対するリスペクトが自分の中にもあるし、自分でもそれを心がけようと思ってるかなぁ。</p>
<p><strong>野村</strong>　そうすると、今の時点で松井さんから見て「日本の演劇史ってこういう軸があるんだ」というはっきりした見出しがあるというよりも、触感的なところだとかディティールのパッチワークが結果的にそうなってる、という感じなんですかね。</p>
<p><strong>松井</strong>　でもそれは完全に感覚的なところのみを頼りにしてるわけじゃなくて、太田省吾さん、寺山さん、唐さんがテーマに挙げてることを考え続けてるっていうのはある。<br />
　どういうことかっていうと、例えば太田さんが「社会的価値」というものを「価値があるものとして描くような戯曲に対して違和感がある」と、「『存在そのものがただそこにいるだけで価値があるんだ』ということを演劇としてやりたい」ということを言っていた。ただ存在がそのまま浮かび上がる、というか、まぁ動物的な価値なのかもしれないんだけど。</p>
<p><strong>野村</strong>　中身というか「質」みたいなことですよね…「quality」というか。</p>
<div align="right"><small>(松井周)</small></div>
<p><img decoding="async" src="http://quinadanet.xsrv.jp/sample/wp-content/uploads/2014/03/interview021.jpg" alt="松井周" width="40%" align="right" style="margin: 0 0 5px 15px;"/><br />
<strong>松井</strong>　そう。それに重きを置きたいんだ、という風に言ってること。それはイデオロギーが吹き荒れている時代だからこそ、そのアンチテーゼで言ったんだとも思うし。僕もそのことはずっとそうだなと思ってるけど、現代まで来て、今度はイデオロギーっていうものがほとんど現実的でない、となってきた時に、別の言い方、別の価値みたいなものをどう捉えられるのか。或いは、社会から価値を決められて行く中で、予め決められた価値を「脱ぎつつ着る」みたいに、そのくらいの言い方をして行く方が、太田さんの言ってることを現代に生かせるんじゃないか、みたいなことを思ってる。</p>
<p><strong>野村</strong>　つまり例えて言えば、衣服が社会的なモノだとして、それを充実した素っ裸の価値の身体に着せたり脱がせたりする、ということですか。</p>
<p><strong>松井</strong>　そう、そういう感じ。（笑）</p>
<p><strong>野村</strong>　なるほど、すごくわかりました。それに付け加えると、「社会的」という風に言葉にすると概念・理念・言葉に寄って行くんですが、「政治的」という言い方をした時には、身体と場が問題になってくると思うんです。そのときに、どうやって内側から線を引いて場＝プレイグラウンドを確保するか、ということが、実は政治的な振る舞いとしてある。だから乱暴な言い方をすると、太田さんが「素っ裸の価値」を言えたってことは、その時には自分のプレイグラウンドを安定して確保出来てたんじゃないかなと。僕の感じで言うと、アングラがなんですごく政治的だったかといえば、そもそも劇場が無かったからだと思っていて。<br />
　だから今までは、相対的に言えばですけど、演劇としては充実した「質」が第一だったし「それ一本でもいいんだ」という気持ちだったんだけど、今は、別にそれを捨てるという意味ではなく「その充実した質をどういう場に、どういう風に置くか」が重要だと思う、ということですよね。</p>
<p><strong>松井</strong>　そうそう、そこは時代によって変わって来てるだろうし、裸だっていうことに対して、「それも裸プレイじゃん」ということに対応していかなきゃいけない。「裸です」ってプレイしていくことでは、ちょっともう対抗出来ないじゃないかなって感じがある。一方で太田さんが言いたいのは、「裸に貼り付けられていくあらゆる基準とか価値とかに対してきちんと脱がしていくことが重要」ということで、そのことは、今でも思ってるかな。</p>
<p><strong>野村</strong>　枠組みとしての政治性とか、かぶいていく姿勢、つまり「衣服」だけが問題にされるようなことが多くて、演劇として中の「充実した質」…つまり上演自体の質がそもそもないんじゃないか、という意味での問いかけですね。「演劇をやるということはその質をたっぷりと膨らませて行くことなんじゃないの？」という主張。</p>
<p><strong>松井</strong>　うんうん、そうだね。</p>
<p><strong>野村</strong>　とすると、仮にその「質」が手に入ったなら、何を着せたり脱がしたりしてくのかというのが問題なんですかね。</p>
<p><strong>松井</strong>　その「質」をどう捉えるか、で僕の中では寺山修司と関係してくるというか、「質っていうのはそんなダイレクトに顔を出さないな」という感じで。どんどんフィクション化することの中から、それでも残るっていうか…「残る」って言い方もしないと思うんだけど…「自分」というフィクション…「フィクションである」という感覚の方がしっくりくるかな。思考の仕方、自分というものを自分で考える時の感じもそうだし、相手が自分をみる時もそうだと思うんだけど。<br />
　「存在に価値がある」ということはすごく理解できるんだけど、その「存在そのもの」が「真」であるっていう言い方じゃなくて、「存在そのもの」が常に変わっていく、ということ。「真」という言い方は合わないかもしれないけどそれが存在なんだ、というか。人間はすぐにさっき言ってたことと違うことををするし、言ってしまうし、錯覚もするし、自分の役割をすぐに絶対化しちゃうし、常に色が変わっちゃうんだけど、そういうことも含めての「人間のフィクション性」、「フィクション化してしまう動物であること」というか…そういうものを見せたいなぁと思ってる。</p>
<p>（第二回につづく）</p>
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