村田沙耶香
1979年、千葉県生れ。玉川大学文学部芸術文化学科卒。2003(平成15)年『授乳』で群像新人文学賞(小説部門・優秀作)受賞。2009年『ギンイロノウタ』で野間文芸新人賞、2013年『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島賞、2016年『コンビニ人間』で芥川賞受賞。累計発行部数100万部を突破した。著書に『マウス』『星が吸う水』『タダイマトビラ』『地球星人』『殺人出産』『消滅世界』などがある。
東京公演
11月29日(金)~12月11日(水)
三重公演
12月14日(土)~15日(日)
京都公演
12月18日(水)~19日(木)
神戸公演
12月21日(土)~22日(日)
近未来。東洋のガラパゴスと呼ばれている千久世島という離島は、かつてない賑わいを見せていた。国産みの神話に登場する島であると同時に、その島で発掘される「レアゲノム」という化石由来のDNAがヒトや動物の遺伝子組換えに必要なものとして注目を集めているからだ。その島に住む男は、奇祭で弟を失う。ところがある日、弟は蘇り、まるで別人のように男の前に現れる。弟の存在は島の住民を狂わせていく。そしてそれは、島の存亡を揺るがす事態に発展していく...
1979年、千葉県生れ。玉川大学文学部芸術文化学科卒。2003(平成15)年『授乳』で群像新人文学賞(小説部門・優秀作)受賞。2009年『ギンイロノウタ』で野間文芸新人賞、2013年『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島賞、2016年『コンビニ人間』で芥川賞受賞。累計発行部数100万部を突破した。著書に『マウス』『星が吸う水』『タダイマトビラ』『地球星人』『殺人出産』『消滅世界』などがある。
1972年東京都出身。1996年劇団「青年団」に俳優として入団後、作家・演出家としても活動を開始する。2007年『カロリーの消費』より劇団「サンプル」を旗揚げ、青年団から独立。バラバラの自分だけの地図を持って徘徊する人間たちを描きながら現実と虚構、モノとヒト、男性と女性、俳優と観客、などあらゆる関係の境界線を疑い、踏み越え、混ぜ合わせることを試みている。2011年『自慢の息子』で第55回岸田國士戯曲賞を受賞。2016年『離陸』で2016Kuandu ArtsFestival(台湾)に、2018年『自慢の息子』でフェスティバル・ドートンヌ・パリ(仏)に参加した
※ローソンチケットのシステムによる受付です。
「変半身(かわりみ)」東京公演は、スタンド花・アレンジ花(楽屋花含む)などの設置が困難なため、大変恐縮ながら、全面的にお祝い花をご辞退させて頂きます。
何卒、ご理解・ご協力の程お願い申し上げます。
059-233-1122
https://www.center-mie.or.jp/bunka/
[電車]近鉄名古屋線・JR・紀勢本線・伊勢鉄道「津駅」西口徒歩25分
[バス]「津駅」西口より三重交通路線バス(89系統)約5分
075-771-6051(代表)
京都市営地下鉄東西線「東山」駅下車1番出口より徒歩約10分
京阪電鉄「神宮丸太町」駅下車2番出口より徒歩約13分
市バス32・46系統、京都岡崎ループ「岡崎公園ロームシアター京都・みやこめっせ前」下車すぐ
市バス5・100・110系統「岡崎公園美術館・平安神宮前」下車徒歩約5分
市バス31・201・202・203・206系統「東山二条・岡崎公園口」下車徒歩約5分
078-351-3535
http://www.kobe-bunka.jp/hall/
神戸市営地下鉄「大倉山」駅下車すぐ、
阪神・阪急・山陽電車「高速神戸」駅より北へ徒歩8分、
JR「神戸」駅より北へ徒歩10分
山本 充/筑摩書房 編集者
「変態」は人間界ではおおむね異分子をさす言葉だが、自然界ではごく自然な成長過程である。変態する虫たちは、そうすることで新たな環境に適応し、生を紡いでいくのだ。松井周と村田沙耶香も正しく変態する生き物だ。ノーマリティのなかに安住するひとたちには異物とみなされようが、演劇や小説の枠を、男女という性別を、人間という概念を変態させ、より多様性と可能性に満ちた新たな世界を切り開く。幼年期を終えた人類の未来を先取りする小説と舞台をけっして見逃してはならない――。
鳥飼 茜/漫画家
村田沙耶香×松井周という異能の二人組は、人間が生きるための生殖、そのための食、性への欲求が過剰に消費促進される私たちの毎日を子供のように真っ直ぐに、時にめちゃくちゃ高度なインテリジェンスで問い質してくる。破天荒すぎる創世記、極端に合理化された未来の価値観と、それとはアンバランスにノスタルジックな因習、奇抜で満ちたこの舞台世界で交わされる人間の姿は反比例するように率直でもがくほどかわいらしい。人間という、絶望するには広大で希望を持つには脆すぎるこの箱のなかに、その誰もが持つ箱の中に、極限まで目を凝らして最後に残るものは一体なんでしょう。この二人は多分そんなことを考えている、奇特な仲間のように私は僭越ながら感じるのです。
古舘寛治/俳優
『変半身(かわりみ)』は松井周らしい変態な世界観を失うことなく、そこに分かりやすさをプラスし、さらに先へと踏み出した作品だった。松井周の「かわりみ」を感じさせた。人類の末期を感じさせる現代、その現実に目を背けて、ただ日々を生きているように見える我々現代人に何が足りないかと言えば、それは考えることであり想像力だと思う。それをするいとまも無い現代人は、今まさに「変態」しなければいけないのだろう。フィクションによってその想像を促し考えることに至らせる。そのフィクションの力を信じたがっている作家が松井周なのだ。「現代人よ、もっと想像せよ!」という声を私は聞いた。
タニノクロウ/庭劇団ペニノ主宰・劇作家・演出家
『変半身』を観た。「シビレた」っていうのが素直な感想だ。あらためて松井さんは、想像すること、創作することに無上の喜びを持ってしまう作家だと感じた。そういう人が作る(作ってしまう)ものを、特に演劇作品で出会うことほど稀なことはない。絶望的に稀だ。創作へのモチベーションが嘘臭くないって一番重要なことだと思う。そのエネルギーを浴びると、そりゃあ誰でもシビレてしまうでしょ。
岡室美奈子/早稲田大学演劇博物館館長
古代の神話的世界と未来のSF的世界がメビウスの輪のように結ばれてゆく物語といえば、萩尾望都の傑作マンガ『銀の三角』を思い出す。松井周の『変半身(かわりみ)』は、同様に神話と未来がつながってゆく劇ながら、趣はだいぶ違う。だって『変半身』のキーワードの一つは「浣腸」なんだから。古代ギリシャで「悲劇による精神の浄化」の意味で使われ始めた演劇用語の「カタルシス」は、医学用語としては「下剤」や「便通」という意味がある。早い話が「ああすっとした」的感覚だ。『変半身』には「ああすっとした」という瞬間は(たぶん)訪れない。でも、神様の便秘を治す神話的な浣腸は、ゲノム争奪戦や奇妙な祝祭の果てに、「不安で、さみしいから…嬉しい」という、不思議に美しい場所に連れて行ってくれる。
太田信吾/映画監督・俳優
大学を卒業して八年が経つ。
それまで演じるということに興味がなかった私。
卒業単位が足らず、私は、私は専攻していた哲学以外の分野からも余分に単位を取得しなくてはならなかった。
そうして「単位のため」と割りきり受講を決めた演技の講義。
不純な動機で飛び込んだ教室。
しかし、そのドアの向こうには楽園があった。
そこは<講師と生徒><演出家と俳優>そんな境界を微塵も感じない、創造性の溢れる場所。
私たちは互いにアイディアを出し合いながらエチュードを元に1タームのなかで、短い芝居を作った。
それが楽しかったのだ。
進路を決めあぐねていた私は、卒業後も芝居をやろうと決めた。
映画づくりもしているがそんなこともあって自分の映画にも出始めるような始末。
芝居の面白さに気付かせてくだったその人こそ、劇作家・演出家の松井周さんだった。
あれから八年。私は今も芝居を続けている。
人生どう転ぶかわからないものだ。
松井周さんが小説家の村田沙耶香さんとともに立ち上げた新作inseparable「変半身(かわりみ)」を東京公演で拝見した。
素晴らしかった。
劇場のドアの向こうには楽園があった。
その楽園には、<死者と生者><人間と動物>境界を超えた<存在たち>がともに呼吸をし、会話し、交信していた。
その時間がなんと刺激的だったことか。
未曾有の大災害が頻発するこの時代に、人間の人智を改めて批評的に問い直さないといけないと漠然とした思いがあったから。これから私たちはどう生きるべきか?
未来を、過去を、想像/創造するにふさわしい、作品。
この作品がぜひ地方にも、そして海外にも、広がっていって欲しいと強く思う。
松井周さん、素晴らしい作品をありがとうございます。
三浦直之/ロロ主宰・劇作家・演出家
「変半身」の俳優たちの感情を発露させる瞬間が気持ちよかった。ぼくは演劇の嘘のつき方が好きで、松井さんの芝居はいつもセクシーに嘘をついてくれるから大好き。松井さんの演劇は、たとえるなら新鮮な食品サンプルみたいな演劇だとおもう。ペラペラなのに肉肉しくて、美味しいのにフェイク。食べ終わると、身体の内側と外側がこんがらがってくる。バラバラな食感と味と香りがいつのまにか混ざり合って癖になります。
五十嵐太郎/建築史・建築批評家、東北大学大学院工学研究科教授
舞台上には、小さな島の大きな開口をもつコンクリートの建物。その外部の社会構造を想像させながら、住民の会話は進むのだが、存在してはいけないはずの弟が出現すると、世界のタガが外れていく。国生みの神話が召喚され、人類の進化と終焉に向かう、途方もないスケール感の物語に頭が揺さぶられる。祝祭と狂気、笑いと不道徳、そして悲哀。演劇という方法でしか享受できない体験を通じて、われわれはアンチ・ヒューマニズムの未来を目撃する。ゆえに、設定のみを共有する小説版の「変半身」も読むと、異なる角度からもう一度楽しめる作品だ。